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アーカイブ: 2015年5月18日

就活起業


意味:就活活動のような起業メソッドを指す。具体的症状は以下。

・どうやって起業したらいいんですか?と聞く。

・やたらと説明会(起業家の講演会など)に行く。僕も行きましたが、どちらかと言うと顧客やパートナー探し。人の話を聞いて参考になったことはあまりない。

・「その言葉刺さりました」とやたら言う。刺さりすぎて黒ひげも飛び出るタイミング逃すわ。

・相手に認めてもらいたいという承認欲求がもう…

・目の前の人を説得したり評価されたりすることに重きを置く。

・って言うか、むしろ自己アピールが多い。

・ハッカソンやビジコンをやたらと頑張る。

・グループワークやブレストをしたがる。

・形から入る(でも、それは僕も分かる)

【まとめ】

・重要なのは市場と対話をすること。VCウケや取引先ウケを狙っても仕方ない。そういうのは後からついてくるもんだと思った方がいい。

・起業にやり方なんてない。Aさんには当てはまることもBさんには当てはまらない、そんなことはザラ。むしろそんなことだらけ。だから、同時にスティーブジョブズの本を読んで胸騒ぎを覚えていても基本的に自分には関係のない話だと思った方がいい。あなたはスティーブジョブズでも信長でもマークジェイコブスでもない。あなたはあなただ。

【まとめのまとめ】

ただ、これすら僕のキャラと状況とスタイルの話なので、別の人が見れば今まで書いたことが当てはまる人、それが重要だって人もいると思う。やっぱり、あなたはあなただと言うしかない。

「いいじゃねぇか。お前はお前で」

初等教育における努力賛美の風潮


僕は生まれ持った天賦の才みたいなものはあると思っておりまして、たまに、「才能とは努力を努力と思わないことだ」などといったよく分からない結論を言い始める人ますが、そんなにも才能というものを認めたくないのかと。そこは明確に分けるべきで、あやふやにしてはいけないと思います。

確かに才能は残酷です。その一言で全てをぶっ壊す力がある。才能がないものは才能がない。それでも努力でカバーするか他の道に行くかは別として、それは事実。とりあえず、そこから目を背けてはいけない。

死ぬほど努力した人とその分野に対して才能がある人、でも努力をしていない人だったら、後者の方が強い。

何となく逆の展開を期待してしまいがちですね(この気持ちも分かる)。確かに、こういう半官びいき的発想、阪神タイガース的展開って痛快ではありまして、これらは初等教育における努力賛美の風潮が根強くあるのかなと考えます。

確かに、努力したらなんでも出来るという風に言ってた方が教育上はいいかもしれません。

ただ、少なくとも僕にとって努力とは決して美化される対象ではないわけです。息を吸って吐くみたいに頑張るという通りです。

ちなみに、下記が努力に関する記事なんですけど、今振り返るとけっこう多いなと。考え方は別として、この部分というのを非常に重要視しているということだけは分かって頂ければと思います。

とにかくあらゆる観点から努力を賞賛するような発想を持たない方がいい。

苦労と努力

成功の構成要素

いわゆる「持ってる」

そして、一番言いたいことは、逆に、才能がある人間を人間性や好き嫌い評価というフィルターで曇らせて、その才を生かせない。これもはなはだ遺憾ですよと。

対決形式の限界


東京vs地方でも書きましたが、そこ間の問題だけでなく、価値観の多様化、複雑化、高度化してる今、あらゆる場面で比較や対立構造を持ち込むという発想がもう厳しいと思います。

例えば、ベンチャーvs大企業とか、就職vs起業とか、男性vs女性とか、老人vs若手とか。

戦っていたら資源が減少していきますし、これだけ価値観が流転している中、勝者を決めることが本当に難しい時代に突入しているなと感じますもん。

ベンチャー企業から出る胡散臭さとどう戦っていくか。


時々、自分が今ベンチャーってだけで居心地の悪い気持ち、いたたまれない気持ちになる。

社名を聞いても事業がイメージ出来ない、住所もこワーキングスペースを使っている、従業員もいない、プロダクトもない(←これに関しては現時点ではある)。そういう後ろめたさみたいなのはずっとありました。自身が置かれてる理想と現実のギャップがそうさせているのかと。

ステルスベンチャーに思われてるんじゃないか。何やっても拭えない、むしろ、やればやるほど、頑張って動けば動くほど胡散臭さが前面に出てしまうのではないかという懸念。

どこまでたどり着けばこのコンプレックスが消えてなくなるのか。

だからこそ、僕自身のそういう胡散臭さが出てしまった時期に人を紹介してくれたり、仕事をくれたり、逆に引き受けたりしてくれた人には大変感謝しております。

どれだけ大声で叫んでも取り上げられない問題にビジネスを持ち込むことで注目され、白日の元に晒される。


社会問題を解決したいなら、ビジネスの場に引きずり込まないと。それが起業家の役目。だからこそ、NPOとか社会起業とかではなく、利益を追求する形態である必要があるのかなと感じます。

社会起業家と社会にインパクトを与える起業家は全然違う。

社会起業家が社会を動かせるとは限らないし、利益追求をしている会社が社会を動かすようなサービスや立場にならないということもない。こう書くと、むしろ逆だと思える。

to Bとto C


to Bとかto Cとかよく言います。

どベンチャーの弊社がこれらをどのように認識、位置付けしていたかと言いますと、to B、クライアントワークが出来るか出来ないかはその企業の企業力の成長に関わる要素だと思います。会社っぽさの研磨に繋がる。

弊社の場合は受託案件。自分自身で作ったり、エンジニアリングのリソースを持っていたり、そういう人材をアサイン出来たり。

クライアントワークということで、色々な企業に出向きますから、そこで企業力がつく。いっちょまえな会社に近づいていく。

その一方、to Cのサービスを渇望するのはメンタル的な要素かなと。特にベンチャーは小さな一歩がやがて歩幅を広げていくような事業が好ましい。

なぜなら、利益や顧客を積み上げていくという感覚が持てないと精神衛生上あまりよろしくない。受託開発は一発が大きいがキャッシュフローがよくない。

そういう意味ではto Cのビジネスモデルを渇望するような所がある。単価は低くともキャッシュインのハードルが低いサービスが欲しい。

また、to Bのネックな部分として、ボールを投げる相手がいないと事業が成立しないという所ですかね。一方、to Cはボールを投げまくれる。その結果受け取ってくれる人もいればいない人もいますが、こちらから主体的にボールを投げ続けられる。

to Bとto Cは非常に悩ましい所。

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