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アーカイブ: 2015年6月5日

思い付き笑い


意味:過去に面白かった体験や事柄を思い出して笑うことが思い出し笑いに対し、何かを思い付いた瞬間に笑う様。想像力豊かな人間にのみ見られる現象。思い付き笑いは他人に共有出来ないことから、しばしば軋轢を生む(具体例:彼女と一緒に電車に乗っている時に思い付き笑いをしたとする。これがもし、目の前に座っている乗客が面白かったとか、普通に思い出し笑いであればそれを共有し、納得感を与えることは出来るかもしれない。しかし、思い付いた感覚までは言葉で説明出来ないので、どうしたって伝わらない。それを知っているので「何でもない」と誤魔化しがち。そうなると、隠し事をされたみたいな嫌悪感を相手に与えてしまう。気を付けたい)。

スれた子が減った。昔はもっと加藤ミリヤみたいな子だらけだったと思うんだけどな。


北海道に行ってきまして、縁あって、知人の通っていた高校に遊びに行かせてもらって、先生とお話をする機会があったのですが、件名の通りで、擦れた子が減ったんですね。生意気そうな子がいない。下手したら、生意気って既に死後なんじゃないか。

僕らの世代って、そういうのがカッコいいみたいな風潮があったんですけど、茶髪やはにわルック(スカートの下にジャージを履くやつ)、ボンタンみたいな子が全然いなかったことにちょっとジェネレーションギャップを感じちゃいましたよ。

恐らく、ザ・不良!みたいな、そういう不良っぽさがダサくなったのって、いや、不良っぽさだけでなく、分かりやすい対象・コモディティ化に嫌悪感があるのではないでしょうか。

女性ファッション誌は男性情報誌。で書いたように、情報や流行の感度が高くなってることと多様性が広がることで、分かりやすい、目指すべきアイコンのような典型事例に自分がなることがダサく見える。

世の中の若い人、いかがでしょう?

それこそ、「容易く分析なんかしないで わかったような顔でこっちをみないで」って言われるかもしれませんね。

余談ですが、加藤ミリヤさんの19 Memoriesの中に「信じてる私を信じる」というフレーズがあるんですけど、これはもう、典型的な中二病っぽくて好きです。

信じてる私とその私を信じる私、これらが別々の私として認識されている。 客観性の伴った主観を持っている辺り、最高に気持ちが分かる。

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