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アーカイブ: 2015年6月9日

スタートアップという、死に至る病


ちょっと斜に構えている点、ご了承下さい。いわゆるスタートアップ界隈という業界において、僕なりに感じたことを記載します。

まず、圧倒的に起業家と投資家の力関係がアンバランスに思う。そりゃそうですよね。普通に、一商売と同じで需給バランスがあるわけで、「買って下さい買って下さい」だと価値は下がる。「投資して下さい」側のアプローチの方が多いわけで。

それはもちろん、そういう姿勢の起業家にも問題はある、が、やたらと「挑戦」と焚きつけるのも問題かと。スタートアップ界隈という所はそういう傾向が強い。「リスクを恐れるな!失敗したっていいんだ。死ぬこと以外リスクではない」じゃあ、「やっちゃおうか」という気持ちにもなる。

実際、失敗するとそれなりにぶっ叩かれるわけです。どっちやねん!と。死んでないけど、けっこうリスキーな状況よ、みたいな。それはもちろん、そういう姿勢の起業家にも問題はある、が、やたらと「挑戦」と焚きつけ…

うん?これ、さっきも言ったな(笑)つまり、このループから抜け出せない。

チャレンジしている人の言うチャレンジは、その前向きさとは裏腹に寛容さから出たチャレンジでないこともあるのかもしれない。他人が挑戦することに関しては無関心くらいに思い、あまり当てにしない方が良い。ポジショントーク。あるいは自分の周りだけ。

この、起業家と投資家の力関係、起業家が投資家に乗せられてる感って、日本の起業やスタートアップを成功させる際の凄い重要な取り除くべき問題だと思うんですよ。

そもそも、こういうマウンティングが起きうるのって、よく、VCが多いとか、金が余ってて起業家が足りてないとか言うけど、実はそうでもないんじゃないですか?少なくとも、金額は別としてVCのプレーヤー自体の数は足りないと思います。投資家一人辺りの受け持つ金額が大きくとも。

いや、決してマウンティングがいけないとかじゃないんですよ。もちろん、ビジネスな以上、大人な対応は多々ある。変な駆け引きもしてくる。思いに共感とは言ってもその思いを拾いきれないことだってあるでしょう。それは仕方ないし、実際に起こりうるわけです。

ただ、フロントでは、「思いに共感」とか「失敗を恐れるな」とか言っておきながら、その裏では自分たちが儲かる絵を描いて型にはめる。その落差のえげつなさに辟易しています。

VCが異常に、起業家に対して綺麗なことしか言わない状況と起業家がそれを素直に受け取り過ぎ。創業してしばらくは、期待をさせて落としてくる人、そういう人たちにけっこう悩まされた。それにも関わらず、気前のいい経営をしがち、起業家はお人好しになりやすい。スポーツマンシップならぬベンチャーマンシップを持つ。とは言ってはおりますが、それを過剰にやってしまうと気付かないうちに死んじゃう。そして、ハマってから後悔するという。

投資家が起業家に対して駆け引きをするのなら、起業家も投資家に対して駆け引きを講じるべき。必ずしも駆け引きを発動するとは限らずとも、切れるカードを忍ばせておいた方がいい。そういう発想をそぎ落とされちゃダメだ。いくら目の前の人がお金をくれそうだとしてもNOはNO。自分の、いや、そんなチンケなものじゃなく、自分のサービスの価値は絶対に下げない。目先の数百万欲しいがために感を捨てて、それくらいならバイトして貯めろ。もっと切れるカード増やしてからアプローチした方がいい。

次に、スタートアップ界隈に漂う仲間意識。強烈な身内感。これこそ死に至る病の病原菌だと思ってますが、冷静に見ると「別に」なサービスなのに、やたら持ち上げ合う文化は何なのか。身内間で褒め合い過ぎてて、プロダクトの評価が正当に行われていないことが多々ある。「人を見ます」と言うのはいいけど、「この人」が何かしたらもう盲目的に凄いみたいな。判断基準が好き嫌いや人間性。

同様に、既に結果を出した人に対する過剰な賛辞にも辟易しています。やたら崇め奉る。寄ってたかって感が半端ない。しかも、持ち上げている自分を持ち上げたいという魂胆が透けて見えてしまう。その渦中に少しでもいたい、繋がっていたいみたいな。既に結果が出てるものを評価することは誰にも出来る。一回目の結果を出すために今助けが必要なわけですから、そこに群がっていても本当に日の目を向けるべき人まで光が届かないんじゃないか。

いや、もっと強い言葉で言うなら、結果が出てから人を評価する行為は罪悪以外の何者でもない。それならまだ、何も言わない方がいい。なぜなら、結果が出た人を持ち上げるだけ持ち上げて、そういう人がいきなりぶっ叩かれると、散々シェアとかコメントしてたのにさぁーっと引いていく事案が多発しているからです。もはや茶番ですよ。

総括として、僕は凄い感じる。スタートアップの中に変な大企業意識が出来てしまってるのではないかと。感覚的な話で申し訳ないけど、僕は今のベンチャーブームの中に凄いコンサバティブを感じる。全然、ステイ・ベンチャーじゃない。それが目指すエコシステムなん?実際そんなことないのかもしれないが、感じたものは仕方がない。そういうことなら、その生態系の一員には絶対になりたくないと思った。

一方で、そんな勇ましいことを言ってるのにどうかと思いますが、ベンチャー界隈こそ大企業病にかかりやすい、外部に対してコンサバティブになっちゃう気持ちも分かります。ただでさえ自分がベンチャーという伸るか反るか分からない状態にいるのに、これ以上そんな不安定なところと付き合いたくない。分かりやすく結果が確定してるとこ、無難なところと付き合いたいのが本音。そういう雰囲気を作ったのは企業とVC、そして、起業家だと思う。やたら大企業が出てくるし、大企業を持ち出す、大企業に乗っかろうとする。

起業家と投資家の力関係を維持しようとしていたのではダメだし、起業家もその力関係を壊していく動き方をしていかないと開いていかない。

「今風だね」と言われたら負け


25歳くらいの時からそう思っていました。

ただ、ちょっと待てよ。僕が今ここで言う「今」って、2015年現在の「今」ではなく、僕が若かりし頃の「今」なので「今風」という言葉自体、もはや成立しないのかもしれません。

一応、「今風」と言われたら負けの理屈を書いておきますと、

僕、若い人って世代や時代関係なく、

「ダルそう」

「斜に構えている」

「トゲトゲしい」

「声小さい」

と思ってたんです(実際、自分が若い時はそうだった)。

ですが、スれた子が減った。昔はもっと加藤ミリヤみたいな子だらけだったと思うんだけどな。でも書きましたが、どうやら最近の若い子は全然違う気がする。

僕ら1984年前後生まれは、ちょっと上のヤンキー世代やアムラー世代を兄や姉に持ち、スピードとかの影響もあって、生意気に振る舞うのが当たり前だった。

そうこうしている間に、「生意気でいいの?」と問いかけるアーティストが出てきたわけですよ。僕らの少し下の世代で。生意気のまま、これからも生きていったら誰もいなくなるよと。

そう、加藤ミリヤですね。

僕、彼女のインパクトが凄い強くて、この世代の子たちはこんな感じの雰囲気なのかなってずっと思ってたわけです。そして、これから先もそういう若者が増えていくと思ってたら、とんだ茶番でしたよ。

全っ然、そんなことないのな!むしろ、生意気とか完全に死語なのな。

「今風だねと言われたら負け」と言ってる時点で「負け」だったみたいです。

最強伝説 黒沢


福本伸行先生の漫画の中、この作品だけが同氏のギャグ性を引き出している。

それはカイジやアカギにギャグ性がないということではなく、展開力が凄すぎてギャグ性に気づかないだけなんです。

黒沢を読むたび、「あっ!福本さんって面白いこと言えるんだ」と気付かされます。

カルタって結局、負けず嫌いを競うものだと思うんです。


群馬県はやたらとカルタをやります。

まず、カルタの絶対王として長く君臨する上毛カルタ。

さらに僕の出身地でもあります太田市は市民憲章カルタというものもある。

中学生になると百人一首も。

何か、一時期、カルタ強い奴がイコール頭がいいみたいな評価基準に包まれる空気感あるんですが、カルタは頭の良さや運動神経ではなく、負けず嫌いかどうかということを導き出したカルタエリートです。

ちなみに僕は地区対抗のカルタ大会で必ず代表に選ばれるタイプでした。

なぜ「登利平」が上毛かるたに出てこないのか。


余談ですが、群馬が誇るソウルフード「登利平」は全国的に見ても全然通用する弁当だと自負しておりますが、未だにホームページにflashを使っている辺りが保守的な県と揶揄される群馬やなと。

後、一番安い「竹」弁当710円が一番うまいということで異論は認めない模様です。

こっちで名が轟くように頑張れ!


実家に帰った時、ふと、同級生のお兄さんとお話した際、言われた一言なんですけどね、

確かに。

確かになんですね。

例えばFacebookなどで色々と報告というかリリース情報を流すじゃないですか。

でも、それって自己申告で、自分の周囲には情報が届くわけです。

そうじゃない。

そういうことではないんだなと、ふとした一言で思い返されましたね。

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