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クレイジーの正体


起業ってのは、ゼロからイチを常に作り続ける行為です。そういうことってのはやっぱり一筋縄じゃいかないから、こっちに引っ掛けてあっちに引っ掛けてそっちに引っ掛けて…繋いで繋いで、何とかかんとか形にしていくんだと思う。

Cという結果を出すためには、まずAさんを説得してBさんを紹介してもらう必要がある。待てよ…Aさんと繋がっていくためには、まずDの案件をうまく対応してからだな。じゃあ、もしCという結果が出たら、今度はEとFという戦略を選択することが出来る
…みたいな。

ソリティアスタイル

それらは全て「こうすればあぁなる、あぁなればそうなる、そうなるとこうなる…」という、一つ一つがそもそも成立困難な仮説の上に成り立つ砂の器、砂の積み木でしかない。それはもう、戦略などという格好の良いものではない(巷ではこういうことを「PDCAを回す」などと表現するのかもしれないが、僕はそんなスマートな言葉で置き換えられるものではないと思っている)し、それら成立困難な仮説が全て成立したとして、成果が出るという保証は一切ない。

当然、頭の中には「果たしてそれ、意味あるん?」という自問自答が沸き起こる。恐らく、頭の良い人、常識のある人ほど、そういうことを考えると思う。従って、ほとんどの人はその器を固める遥か前段階で瓦解する。

ただ、実際に積み上げてきた者、積み重ねてきた者、それら過程を積み重ねて答えを導き出せる者は、その砂の器を信じられる。その砂の器を使って水を汲めると信じてる。そこに張れる。これが積み上げてきた者の強さ、凄さ。ロジカルな成果、自分の人生に紐付いた結果、それを噛み締められることは非常に甘美です。

これがもし、他人の水差しを使って水を飲むのであれば、やっぱり張れない。人に貸し出された入れ物では信じられない。だから自分でやる。

積み上げよう。例え下積み時代と軽視されようと、道半ば、半端者、ならず者と罵られても、自分の器で水を汲もう。

そういう人間が手に入れるロジカルな結果。それを手にする。

もちろん、積み上げていく人間を否定する声はこれからたくさん聞くと思う。やたらと煽られることもある。ただ、もし、そんな姿をあざ笑う人が目の前を通っていったとしたら、ただただぐっと堪える。「俺はまだ途中、何かをなす上で途中の人間なんだ」そう言い聞かせて延命する。そう思うこと自体はちっとも悪くない。過小評価に対して反論してやろうと、心を使ってしまうことだけはしてはダメ。

そういう意味で僕らはもはや普通の人じゃない。自分という勝ち馬と心中出来る。傍目にどれだけ分が悪く映ろうと、そんなの本当に関係がない。

そういうことを「クレイジー」と言うんです。そりゃそうでしょう。砂の器で自信満々に水飲んでたら、おかしいんとちゃうかって思う。

決して、信長ぶるやスティーブジョブズぶって、奇抜なことをやることではない。

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鹿山瞬

鹿山瞬

代表取締役株式会社INJUS
スマホアプリの開発を軸に、名刺やホームページの制作・運用、記帳代行、その他下記自社サービスを展開する会社の創業者です。 ①G2Oマーケティング ②顔パス ③TAXi ④Connector カバー画像の「唯才是挙」とは、三国志の曹操から引用しています。

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