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アーカイブ: 2016年4月

生意気バイアス


意味:生意気な口調、生意気な態度、生意気な服装、生意気な顔つき、生意気な考え方により、本人の能力が度外視され、「ただ生意気な奴」という評価で終わる選別方法。

何もやってない人が叩いてるのではなく、何かやってるけど成果が出てない人が叩いてるんじゃないでしょうか?


よく、

「人を批判するだけで自分では何もしない」

とか

「頑張ってない人が頑張ってる人を批判するな」

みたいなことを言いますよね。

その理屈って正しいのだろうか。批判してる人たちの中に「実は頑張ってる人」もけっこういるんじゃないかな。むしろ、そういう人の方が多いんじゃないかという肌感。

「自分なりに頑張ってる」→けど、

「思うように成果が出ない」→だから、

「自分とは対極にいる成果が出てる人を批判する」

という構造。

もう本当、やってもやってもうまくいかな過ぎて、他人の事ばっかり気にしちゃうっていう、そういう思考回路。

ましてや、SNSの発達で輝かしい栄華ばかりがやたらと目に付く。

「もうダメだ。俺やっても成果出ないし、批判しちゃおう。批判して気持ちよくなろう。楽になっちゃおう」

「どや!」の前借り

もしその仮説が正しいのなら、「何もしてない人」と「何かしてるけど成果が出てない人」とではフェーズが全然違くて、諸悪の根源が異なるので、

自分自身でやってない人が頑張っている人を批判する嫌な国、生き辛い国、ニッポン!

みたいな括り方で問題提起と結論付けるのは適切ではない。

そんな国民性みたいな問題ではなくて、単に、頑張っているけど成果が出ていない人の個人的なモチベーションコントロールスキル。

他人を批判する人は、他人を絡めてでしか自分の意見を言えない。

そして、批判している人が頑張っていない人ばかりだという誤解を持ち続けていることによる弊害もある。

批判された途端、返す刀で「自分では何もしないくせに何かやっている人のことを批判する」みたいに定義してしまう人ってのは、逆に、自分がその立場になってしまう可能性、ダークサイドに堕ちる危険性をはらんでいる。

頑張るってことは、そういう落とし穴があることを常に意識し、過小評価されている日々を強い意志でやり過ごす。

生みの苦しみ、育ての苦しみ。


サービスって「作ってドン!」「出してドン!」ではない。もちろん「壁ドン!」でもない。

育てていく必要がある。むしろ、そこからが「ヨーイドン!」

僕は今、育ての苦しみに直面してる。そして、その苦しみはどこから来て、どうすれば解消するのか、その答えは出ている。

開発サイドが広報や営業をやると角が立つ。

もう、ここからは完全にチームを作っていかなければならない。組織を作っていかなければ、その苦しみからは逃れられない。

IT、IT言うけど、やればやるほど、リアルビジネスを持つことの強さ、逆に言えば、それがないことの脆弱さに気付く。


何の疑いもなく、「起業=IT」とか、「ベンチャー=スタートアップ=資金調達」みたいに結論付けず、変にITに盲信せず、広い視点で然るべき打ち手を打てる起業家は強いよと、むしろ、そうじゃなきゃ勝てない。

0→1でやる=つまり起業するなら、IT周りでよっぽど専門的なスキル(プログラミングかSEOか)でもない限り、IT企業を標榜しない方がいいということを実際やっていてしみじみ思う。

こんなことをアプリ屋の社長が言うのもアレですが、逆に、僕はアプリを作りたいというお客さんに対してはこのことをきちんと話す(この部分は後ほど深堀して新しく記事を書きますが→「アプリを作るメリットって何がありますか?」「webでいいのではないですか?」アプリ開発という事業者として、これは非常に多い質問です。)。それ、アプリにする意味ありますか?と。

理想的なのは、ドブ板営業で売上が出るような事業を持つ。その上でのIT化。

そして、一番言いたいのは、一見それは新しい価値観として台頭したけど、それすらいずれ古くなり、むしろその足がどんどん早くなってるわけだから(アプリだのwebだの、ITにいつまでもしがみついている様もよっぽど変化に対応出来ていない。)固定観念化してしまっているものに対しては常に疑いながら、自分の考えで動かないと「こんなはずじゃなかった」「余計なお金をかけてしまった」と思う。

起業家が「俺は○○に命をかける」と言いながら、また別の日のブログで、「失敗したって何てことないんだから、とりあえずやってみようよ!」みたいなことを同じ人が書いているのを発見すると、かけてる命の薄っぺらさが感じ取れる。


死ぬ覚悟でやってます。とかね。

もちろん、命をかけるくらい熱意を持ってるってことと失敗に対して寛容になろう、萎縮しないようってこと、その言葉ってそれぞれ別のモチベーションを目指しているので、必ずしも接触事故を起こすことはないのかもしれないですけど、起業ってものはとにかく、こういうちょっとした矛盾っぽい事象、名言同士がぶつかることはよくあります。起業のコンフリクトってやつです。

こっちが想定してる思惑とか戦略って基本的にその通りにはならない。でも起業にまつわる矛盾エピソードを書いておりますので、よければご参考下さい。

サッカー日本代表はいつからパス交換にKPIを付けるようになった?


サッカーの戦術的なことは全く分かりませんが「何回パス交換した」とか「誰と誰が絡んだ」とか、もう、それじゃない感が凄い。蹴鞠か何かか!

そこからファンタジスタは絶対に生まれない。

いや、もちろん、パス交換(チームプレー)をするなと言ってるのではなく、ドリブルしろよってだけ。もっと自分出せよ。自分持てよ。自分で持てよ。

「サッカーはチームプレーがすべてじゃない!ボールを持ったら観客すべてが自分を見ていると思え。自分だけを見ていると思ってプレーするんだ!そして、いけるところまでいけ!一歩でもボールをゴールに近づけろ!いいか!それがオレ達の、掛高のサッカーだ!」

戦局と戦術を一人で変えられる人。それがファンタジスタ。

ロジカルな成果


僕は幾度となく、下積みの重要さを説いてるし、回り道が近道みたいなこともあると本気で思ってる。

クレイジーの正体

下積み時代

そういう気持ちでやってきて、少しずつ、本当に少しずつ、一歩ずつという感じではありますが、ここ最近、今まで蒔いてきた事業が結果を出し始めております。僕はこれを「ロジカルな成果」と呼んでいます。決して突発的ではない、積み上げてきたから到達する結果、成果。

僕は、起業家として長い下積みを経験したことで、プロダクトと企業の関係、新規事業の作り方、その教科書を自分で作るに至った。これは、トヨタ生産方式(と言ったら大げさですが)レベルのものだと思っている。これはもう、本当に誇れる企業風土で、これがあるからウチは強いし、永続的に発展していけると思える根拠。どんなに時代が変わっても、求められるものが変わっても、それに合わせて事業を作っていける。

プロダクトと心中みたいなスタートアップが多い中、ウチは独自のスキーム、ソリティアスタイルを導入しています。

確かに、ほんの些細な原体験一つとっても、それらきちんと自分の言葉で解き明かしていくというのは凄い時間がかかるけど、その甲斐はあったと思ってる。

前述した、自社なりの生産システムの構築。これが下積みをサボらなかった真摯さの恩恵。決して、ピーター・ドラッガーを読んで出した結論ではないですからね。

こっちが想定してる思惑とか戦略って基本的にその通りにはならない。


きっと、色んな目論見を立てると思うんです。皮算用と言いますか。当然、複数の事象が絡み合うような戦略を考え付くこともあるでしょう。大きな絵を描くことも。

気を付けて下さい。それ、基本的に全部外れます。

あっ、勘違いしないで下さい。基本的に外すのは「これくらいはイケるやろ?」ではありません。

「これくらいはイケる」という、第一段階の想定はもちろん、第二段階として設定してる、むしろレッドラインに近い戦略すら、ガンガン外れます。

本来、単純なはずの「さらーっと」通過するはずのものですら、右往左往するんですね。

起業ってのは本当に思い通りにはいかないので、たくさんの人が絡んだり、複数の工程を経たり、複雑なキャッシュフローを回すようなことはなるべく避ける。とにかくシンプルに。

とは言え、ビジョンを大きく持たないと小粒感がある。

どっちやねん!

つまり、凄い矛盾をはらんでるということですね、起業は。

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