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ちょっと前にけっこう盛り上がった「クラウドソーシングびみょー」みたいな記事。


「発注者の発注スキルがない」「悪意のある発注者がいる」=発注者性悪説

「嫌なら最初から受けるな」「ゴミみたいなスキルのやつで溢れている」=受注者性悪説

「直取引が横行してます」=受発注者性悪説

「システムが使えない」「手数料取りすぎ」「なぜ受注者から手数料取るの?ビジネスモデルおかしくねぇ?」=クラウドソーシング運営者性悪説

色んな見方がありますね。

僕なりの視点(受発注者両方の立場になる者)として、いわゆる問屋(間に入る存在)が人間なのかシステムなのかということなのかなと思うわけですよ。また、そもそも間に入る必要があるのか?

問屋とは、農業や漁業だったらJAや漁業組合だし、ITだったら営業代行会社?芸能界なら事務所とか。

要は、マネージメント側、ビジネスにする人と実際に手を動かして作業をする人の、産業革命以降(適当です)、脈々と流れる骨肉の争いを体現した事例の一つに当てはまると。

例えば、出版業界なんかは悪しき事例としてよく話を聞きますよね。実際、この記事のちょっと前にバズった「印税3%おかしくねー?」「そんなに作家の価値って低いですか?」という問い掛けがありましたが、

クラウドソーシングって、間に入る存在をITがぶっこ抜くことで、実際に手を動かす人に本来あるべき報酬を還元しますということを大義名分としているわけじゃないですか。

でも、それがなしえてない事実もあり、それもそのはず、この骨肉の争いってのはやはり根が深いから、手を変え品を変え、同じようなトラブルが後を絶たないわけで、そうなると、それをシステムやビジネスモデルが代行することは、僕はまだ難しいんじゃないかなと思います(もちろん、だからこそ挑戦するという弁証法はありです)。

「仕事をお願いしたい人と受けたい人が純粋に出会う場、そのマッチング」としてのみの機能であれば、確かに、「受けたい仕事だけ受けろ」とか、「ちゃんと見積もり出そうね」で済む話なんですけど、制作って長丁場になることもありますし、そんな単純なことではない。

例えば、プログラミングなど素人が発注しにくい案件やデザインのようなセンスによって良し悪しが決まる案件というのは、往々にして発注者の発注スキルが低く、それがトラブルに発展する原因にもなります。

「これやっぱりこっちに変更しておいてよ(簡単でしょ?)」
「サーバーとドメインってどういう関係なんですか?(えっ?そこから説明するの?)」
「よく分からないけどいい感じにしといてよ(…。)」

みたいな。

他の場合であっても、人間の恣意的な部分によっていらんトラブルが引き起こされているわけです。

そういう所こそ問屋の腕の見せどころで、コミュニケートしなきゃいけない。しかし、クラウドソーシングは間に入る「人間」不在という詰んだ状態。

そういった悲喜こもごもを解決するのって、結局は、けっこう高度な人間の判断力のなせる技なんですよね。

当然、高度であればあるほど、コミュニケーションコストをどちらかが負担しなきゃならなくなる。見積もり外の費用がかかったり、制作者が持ち出しで手直しを加えたり。

従って、人間のエモーショナルかつ繊細な部分に合理性を求めることは、僕は必ずしも良い制作環境だとは思わない。ディレクションは必要だよという結論にどうしても行き着く。

何でもかんでも、中間にあるものをぶっこぬくことがイノベーションなのか。

そうじゃない。然るべき中間の組織はある。別に、間に入ったから全てが全て搾取ではない。もしそう感じるなら、それは重度なジャンヌダルク症候群だと。

そして、この問屋がいるかいないかってのは、友人価格を認めるかどうかの問題にも当てはめることが出来て、

僕はこの世に「友人価格」ってものはあると思ってるわけです。友人価格にする根拠って、余計なコミュニケーションコストが掛からない点にあります(詳しくは、友達料金や無料依頼の是が非をブログに吐き出すのが流行っておりますが、どんだけコミュ力ないんだと(笑))。

例えば、友人だからこそ、

「お疲れ様です。株式会社○○の△△です。」

からメールを始める必要ないし、入金がない場合、

「ねぇ、この前作ったホームページのお金、まだ振り込まれてないんだけど?」

とLINEで一発送ればいい。もし払わないのであれば、

「お前、そんなことやってるとFacebookで俺たちの友好関係ある人たちにまで知られる形でバラすぞ。それか今から実家行って、お前の母ちゃんに請求しに行くぞ。それでえぇんか?」

と言える。少なくとも、

「ご入金の確認が取れないのですが」

みたいなメールを送るべきか送らないべきかで半日迷ったりする心配はない。これはコミュニケーションコストが低いからその分は割引出来るよという、合理的な価格設定だと思ってます。そういうことであれば、友達価格はあり得る。

だから、例え友人でも、余計なコミュニケーションコストがかかるなら、それはそもそも友人関係とは言えないというわけですね。発注者がどれだけ親しげにしたとしても。

じゃあ、一周回って繰り返しになってしまいますが、クラウドソーシングがこれに該当するかと言ったら、決してそうではない。

そうでないのなら、それを仕組み化=全く野放しにしようってこと自体が無理な話。

人間と人間の間に入って調整するってのは一苦労です。それなりに気を使うし、決して右から左に流れているわけではないですよ、ということを思い出して欲しい。

よって、クラウドソーシングは、間に入って立ち回れるポジションをクラウドソーシングする必要があるんじゃないでしょうか。

過去の自分を愛せないから詐称する。今の自分が過去の自分に紐付いてない。


もう、雨後の筍のように、詐称だ何だと出てきます。

変身願望を満たす現代社会の、何にでもなれると思わせる風潮に多少なりとも原因はあるのではと思います。

「何者でもないがゆえに何者にもなりうる」という格言をこれ以上なくポジティブに解釈し、それを根拠に行く所まで行っちゃうと、そういう末路が待っているよと。

ある日を境に劇的に変化する、みたいな展開に憧れる気持ちは全然分かる。シンデレラストーリー。積み重ねていく長ったらしいことはしたくない。そのために、一番手っ取り早いのは自称しちゃうっていう発想。あるいは、過去を意味深にするケースもありますね。起業家がある日突然始める「実はいじめられてました」暴露

やっぱそうなりたいじゃないですか。理想の自分になりたい。もちろん、それ自体は決して悪いことではないですし、むしろバイタリティー溢れる行動だと思います。

ただ、やっぱり、過去の自分っていう、それまで歩いてきたものからは逃げれなくて、それを気にしちゃうのは自分を小さくしてしまう反面、黒歴史と言うか、不遇の時代、下積み時代、いかに真摯に向き合ってきたかで、その時の自分やその時関わった人との繋がりを大切に出来る。のかなと思うし、それを大切にしていれば、過去の自分をきちんと受け入れていれば、詐称してまで変身願望を満たしにはいかない。

積み上げよう。例え下積み時代と軽視されようと、道半ば、半端者、ならず者と罵られても、自分の器で水を汲もう(クレイジーの正体)。

あなたが言う「努力」が、果たしてスパイク3足履き潰すレベルのことなのか。それとも西門のように、支給された1足目をまだ履いてる程度のものなかのか。


野球とかスポーツは努力量を可視化出来るけど、起業や人生は測定不能なんですよね。

「えっ?ちょっ、待って!俺、けっこう頑張った感じするけど、ぶっちゃけどれくらいやったん?」

そういう意味では、毎回毎回、考えて、立ち止まって、確認をしながらやらなきゃいけないという点で(もちろん、スポーツだって考えて努力しなきゃいけない部分はあるのでしょうけど)、邁進出来ない所、盲目的に頑張るということが出来ない。

だからこそ、それを意識してやる。とにかくあらゆる観点から努力を賞賛するような発想を持たない方がいい。

そして、これももちろん、不確実なものとぶつかっていく上で、非常にマイナス要素ですよね。チャレンジャーの焦り。がついて回りますから。

今自分がどれだけ頑張ってるかが数値化された方が全然頑張りやすいです。

2016-03-13 15.50.53

健康的に潜るスキル


起業すると、潜る時期というのが出てくる。

商品の開発中だったり、アライアンス先との調整中だったり、各種根回しをしている最中だったり。

その時、うまく潜れる人と潜るのが苦手なんだろうなと思う起業家といる。

後者であったとしたら、本来、潜伏しなければならない期間に浮かびあがろうとすると無益な軋轢を生むことを知っておいた方がいい。

潜る時はただただ黙って潜れ。過小評価に耐えよう。どうしてもの場合は「どや!」の前借りで対処。

もちろん、耐えるとか潜るってのは、ただボサッとではない。苦しみながらそれをやる。内部的には苦闘しながら、外部にはそれを出さずに。

「悪魔と契約する」という言い回しは起業家の厨二心をくすぐり、かつ、自分たちのポジションを守りつつ、言うべきことはちゃんと言ってるよ、という点において、秀逸ですよね。


決して悪意はないということをあらかじめご理解下さい。

VCの世界では、自分たちを株主に入れることを「悪魔と契約する覚悟で〜」みたいに表現します。

それくらい怖いことだからその覚悟持ってね、ということを暗に示してるのでしょうが、どうもこの「悪魔と契約」ってのが、それこそ起業を志すような、厨二病を引きずった我々がすごい好みそうなワードじゃないですか。

デビルマンの不動明を初めとして、けっこう悪魔と契約する主人公って多いですし。悲壮な決意を胸に…(でもちょっとその役回りおいしい)みたいな。

引き換えに左手を差し出せ!なんて言われた日にはもう、聞くだけでゾクゾクしちゃいますよ。「俺の左手がうずくんだ…」とか言いたくなるからな(もちろん、本当は悪魔と契約したことを自慢したいんだけど、それを自分で言うのは無粋だから、敢えてうずいてもいない左手に注意を向けさせるっていう演出家っぷり)。

ただ、それは漫画の話ではなく、今現実にあなた自身に起きているんですよね。その実感がない。

悪魔と契約するということは、文字通り悪魔と契約するんだということ。

一番罪なのは起業家本人の無知や意識の低さ。

出資を受けるか受けないかの日々に悩む期間は持った方がいい。

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